院長紹介

梅華会耳鼻咽喉科・武庫之荘駅前クリニックの院長・吉本 公一郎をご紹介します。

初めての患者様へお伝えしたいこと

昭和51年2月、尼崎市に両親の初めての子供として生まれました。当初は祖父母の近くに住んでいたため、おじいちゃん・おばあちゃんっ子として非常に甘やかされ温々と育ったと自覚しております。
幼少期は、何に対しても消極的、異常なほどの恐がりでまったくの奥手でした。今でも親戚が集まると、『阪急梅田のエスカレーターに乗るのが怖くて大声で叫びながら走り回り、おじいちゃんが梅田中を追いかけ回して何とか捕獲した。』『銭湯に行って素っ裸で外に逃げて行った。』などの逸話を今でも語られます。
その一方、泣き出したら手がつけられず頑固に自分の欲求を訴え、夜通し泣き続けて両親、祖父母を困らせたことがしばしばあったそうです。自分の子供や診察中のお子さんが必死に泣きさけんでいる姿を見ると、幼少期の自分と重なります。

そんな幼少期でしたが、小学校入学前に大阪府に転居し、徐々に男の子らしさも備わってきました。いつの間にか4人兄弟の長男となっており、やんちゃ心もそれなりに育ち、虫なんて触れもしなかった僕が虫取りに出かけたり、魚やザリガニを釣ったりと人並みの男の子的行動を取るようになり、調子に乗って野池にはまり、近隣の方々に救出されたこともありました。
小学校時代にはボーイスカウトに所属して、奉仕活動をしたり、登山したり、野営したりと様々な活動をしました。この頃の経験は、今のアウトドア、釣り等の趣味に大きく影響しているかと思います。

中学でラグビー、高校・大学まで

中学校に入学してからは、小学校高学年の頃に放送されたドラマ『スクールウォーズ』の影響や大阪という地域性もありラグビー部に所属しました。祖母からは『あの泣きべその公一郎がラグビーみたいな危ないことできるかいな?』と言われ、心配をかけたものです。
入部当時はやはり体力的に周囲より劣っていましたが、身長が中学3年間で身長が30cmほど伸び、体力、技術、精神力ともに何とかついていけるようになりました。

その後、地元の高校に入学。高校時代もラグビーに明け暮れて勉強は浪人してから、と勝手な計画を立てていました。
やはり浪人生となり心新たに予備校に通い、『人生予定通り!』と自身に言い聞かせながら受験勉強に取り組み、と同時に進路についても真剣に考えるようになりました。何かやり甲斐のある仕事に就きたいと医学部を目指すようになり、山口大学医学部に入学しました。
祖母からは『あの恐がりの公一郎がお医者さんなんかできるんかいな?』と言われ、やはり心配をかけました。

医師へ

大学時代ももちろんラグビー部に所属。時間をもてあました若者は、山に海に繰り出し、サーフィン、釣り、素潜りなど 山口県の自然を存分に享受して、関西に帰ってきました。

たくさんの重要な機能が存在し、内科的・外科的な両方の役割を要求される耳鼻咽喉科に興味を抱き、京都府立医科大学の耳鼻咽喉科学教室に入局しました。

大学病院や京都市内の中隔病院で研修を受け、地方の基幹病院で医療の実践を積み、その後、京都府立医科大学の大学院に進み、腫瘍免疫についての基礎研究を行いました。
大学院での経験は医師として自然科学者として、ものの見方・考え方のアクセントになったと思います。

大学院修了後、市立福知山市民病院へ派遣され、医長として地域耳鼻咽喉科診療の中心的役割を求められ、後輩医師の育成を行う機会を得ました。3年半でしたが、これまでの医師としてのキャリアの中で最も充実した日々を送れたように思います。

大した病気もしたことのない自分でしたが、今では二児の父親として子育てにも参戦し、子供が病気にかかったときの親御さんの心配や苦労が少しはわかるようになりました。
患者さんの訴えをしっかり聞き取り、ご理解、ご納得して頂けるよう十分に説明を行い、帰りにはご安心して頂けることを、最も大切に考えて診察しております。

幸い、梅華会には十分に鍛えられたスタッフがたくさん在籍しており、そんなスタッフに支えられて医師が診療に集中し、患者さんに対応できる環境があります。また、様々な環境で勉強してきた耳鼻咽喉科医師が複数在籍しており、情報・意見の交換を頻繁に行い、机上や学会での勉強以外にも医学知識を深める場が身近にあります。
生まれ育ったこの地域で診療できるこの深いご縁に感謝し、『ここで診てもらったら安心やわ!』と患者さんから言って頂けることを目標に、日々の診療にあたりたいと考えております。
どうぞお気兼ねなくご相談下さい。よろしくお願い致します。

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