院長紹介

神戸本山うめはなこどもクリニック院長 飯田みどりこんにちは。はじめまして。

2016年10月より、神戸本山うめはなこどもクリニックの院長をさせていただくことになりました、飯田みどり、と申します。

生まれ育ちは違いますが、医師となってからすぐに神戸で働きだし、もう人生の半分は関西に住んでいます。神戸に来て当初は関西弁や関西の習慣になれるのに苦労した時期もありましたが、神戸独特の人に優しい風習のお陰で神戸から離れられなくなりました。

子供は神戸生まれ神戸育ちで、近くの本庄保育所に、もうだいぶ前になりますがお世話になっていました。

小児科医として、これまでたくさんの患者さんやご家族と出会い、いろいろなことを学ばせていただき、自分の子供からも学び、私なりに小児科医として、そろそろ神戸で恩返しをしたいと考えていた時に、思ってもみなかった形でこの土地で働かせていただけることになりました。

神戸本山うめはなこどもクリニック院長 飯田みどり小児科はお子様の診療だけでなく、お母さん、お父さん、ご家族の安心を何より提供させていただくことが大切だと思っております。

ご家族が安心してお子様を連れてきていただけるよう、お子様とご家族に、優しさと温かさを提供できるクリニックとなるようスタッフ共々、努力していきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

院長生い立ち

生い立ち

生まれは長野県長野市です。当時はりんご畑や田んぼもあって、木登りしたりふざけすぎて田んぼに落ちたりと、かなりおてんばでした。

小学生時代は父親の転勤で東京に住んでいました。荻窪と自然あふれる街で自転車に乗って探検するのが大好きで1人で遠くまで行って新たな場所や遊び場を発見した記憶があります。

長野生まれというとスキーなどできるかと、誤解されますが、みんなが習得する小学生時代に長野にいなかったので残念ながら、全くできません。

神戸本山うめはなこどもクリニック院長 飯田みどり中学からまた長野に戻り、中学高校時代は毎日毎日早朝から夜暗くなるまで、バレーボールの部活に励み、スポ根世代でしたので今ではありえない厳しい練習でしたが、

尊敬できる先生と素晴らしい仲間たちに恵まれ、波乱の中も充実した日々を送ることができました。私の人生で根性だけでなく人生で大切なことを多く学んだ貴重な時代でした。

医師を目指して

ほぼ医療関係とは無縁の家庭に育った私です。なぜ医師を目指したかと言いますと、高校で、さて進路どうしよう、という時に

「一生続けられる仕事がしたい」が始まりで、いくつか職業は他にもあった訳ですが、これも運命か、たまたま結膜炎で高校の通学路にあった眼科クリニックに行きましたら、そこは40代くらいの男性の先生とおそらく70代くらいのかっぽう着のような白衣を着た女性の先生とお二人で診療されていました。

偶然にも私はおばあちゃん先生に診ていただきまして、本当に失礼な話ですが、高校生の私は、おばあちゃんなのに診察も処置もテキパキとされて淡々と診療していらっしゃる姿にただただびっくりしました。と、同時に

医者っておばあちゃんになってもできるんだ!

と感動し、帰ってすぐ、医者になるにはどうしたらいいのか、から調べ出しました。

私の通っていた高校は当時屈指の進学校ではなく、むしろ私も高校を選ぶ時に部活が活発なところがいい、と選んだ学校で、理系クラスも1クラスしかなく、

さらには医学部に行く学生は1学年1人くらいで、情報も乏しく、まして3年夏までバリバリに部活していた私には既に間に合わない状況でした。

でも、「何とか推薦でもいい、どこかないか」と情報誌を調べまくって、私の母校が推薦入試をしていることがわかり、すぐに応募しました。やる気も見せなくちゃ、と受験番号1番をとりました。

そして運良く合格!

晴れて医学部大学生になれました。でも、医者の家でもなかったので、両親は学費に非常に苦労したとのこと、本当に感謝の気持ちで一杯です。

医学部時代は大学生活を楽しみつつも、結局本気の部活をがんばることとなり、中学から大学まで約10年間バレーボールに青春を捧げました。

医師として

医師としての第一歩は神戸市立中央市民病院でした。

当時は大学の医局に入局して大学で研修することが主流の時代でしたが、私はまず色々な経験のできる外の病院での研修をしたいと考え、

他に東京でもいくつか、大学時代に見学に行って研修病院を探しました。関西は親戚がいたものの、ほとんど行ったことのない未知の世界でしたが、

見学に行って最先端の医療と活気あふれる病院の雰囲気や先輩研修医の先生方を見て、神戸でがんばってみようと決意しました。

これまた運良く研修医の試験にも合格して、私の医師としての人生が始まりました。

神戸本山うめはなこどもクリニック院長 飯田みどり神戸市立中央市民病院では厳しい中も、本当に良い環境で、科の垣根のない雰囲気もあり、色々なことを学ばせていただきました。

そして、阪神淡路大震災もこの病院で研修中に経験しました。すぐに病棟に行き、7階の窓から三宮、長田方面まで真っ赤になっていた光景は今でも鮮明に思い出します。

大通りに横たわった大きなビル、全壊した家が道路にずっと続いていました。私は幸い知人を亡くしたりはありませんでしたが、

神戸という街が沈んでしまったことに深く悲しみを感じました。水道もなかなか復旧せず、全国各地の水道局の車が給水に来てくださり、列に並んで水を一気にタンクに入れてくださった時の感激も忘れられません。

もっと私より震災でご苦労された方もいらっしゃるので、偉そうなことはいえませんが、若僧医者だった私もあの時は生きるのに必死だったような気がします。

それから故仰木監督やイチロー選手達もがんばろう神戸で盛り上げてくれました。

だんだん復興し、その間私も結婚、出産、育児に追われながらも、産休4ヶ月以外は医師として仕事は休むことなく続けました。

子供が小さいうちはなかなか病棟管理がある病院では働けず、外来メインの仕事ばかりでしたが、

お蔭でいろいろな病院、クリニックでいろいろな先生の診療を学ぶことができ、耳学問でも大きな知識を得ることができ、今もとても役立っています。

もちろんいろいろな患者さんやご家族との出会いも私の小児科医としての糧になっています。

自分の子供の育児でも実に学ぶことが多かったです。こんな母親に育てられた子供たちもかわいそうでしたが、学ばせてもらったことに感謝しています。

神戸という土地でこれまでのたくさんの感謝の気持ちを忘れずに、そしてこれからもできれば、おばあちゃんになるまで、小児科医として貢献させていただきたい、恩返しをさせていただきたいと思っております。

受診してくださったお子様、ご家族に丁寧で
わかりやすい診療、

頭にハテナマークを残さない診療、

何でも気兼ねなく疑問を投げかけていただけるクリニック、

そして、来てよかったな、とクリニックを出られるときに感じていただけるクリニックを目指します。

どうぞよろしくお願い致します。

院長経歴

経歴

東京女子医科大 医学部卒業
京都大学大学院 医学研究科卒業
神戸市立医療センター中央市民病院 小児科
北野病院 小児科
東浦平成病院 小児科
医療法人 サンタクルス 小児科  他勤務

資格

日本小児科学会認定小児科専門医
京都大学医学博士

所属学会

日本小児科学会
日本小児アレルギー学会
日本外来小児科学会