初めての患者様へお伝えしたいこと | 阪神西宮駅前 梅岡耳鼻咽喉科クリニック
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阪神西宮駅前梅岡耳鼻咽喉科
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阪神西宮駅前 梅岡耳鼻咽喉科クリニックの院長・南野 尚也をご紹介します。

初めての患者様へお伝えしたいこと

幼少期剣道

私は今では珍しい4世代家族の長男としてこの世に生まれました。
物静かな曾祖母、頑固で優しい祖父、厳格な両親、そして後に2人の弟が生まれ男三兄弟となります。

物心つくまでは曾祖母に手をかけてもらいました。
わんぱくな幼少期、キャッチボールをしては隣の窓ガラスを割り、そのたびに両親に叱られシェルターのごとく優しい祖父に逃げ込んだものです。叱られた記憶がない優しい祖父からは、現在からは想像もつかない程の戦争体験を聞かせてもらったことを今も鮮明に覚えています。

そして私のこれまでの人生を振り返ってみても最大の努力といえる、中学受験に臨み両親と共に一心不乱に勉学に励む毎日。

目標は父親のように・・・。
父の母校である甲陽学院に自分も行くのだと。両親そして祖父を喜ばせたいという気持ちに突き動かされてゆきました。

父の母校に合格

その結果、念願の甲陽学院中学父の母校に合格。
受験で張り詰めた反動からか気が緩み中学・高校は随分のんびりと過ごしました。
そんな時代はあっという間に過ぎるもので気がつけば大学受験。人生の岐路に立ち改めて自分は何がしたいのか自問自答する中、ようやく見つけた答えが医学部を目指す、医師になりたいという気持ちでした。

なぜ医師なのか?その当時は医師になるという以前に立派な人になりたい。そしてそれはやはり両親・祖父が喜んでくれることだと思っていました。しかし現役では失敗。自分で言うのもなんですが、もともと真面目な性格ゆえに医師になりたいという思いは益々強くなり猛勉強の末、滋賀医科大学に入学。その時すでに祖父はこの世を去り・・・残念ながら医師に向かって歩みだせたと伝えることは叶わなかったのです。

大学入学と医師への思い

大学のラグビー部

大学入学と同時に生まれ育った西宮を離れ、一人暮らしを始め、ラグビー部で汗と泥にまみれる学生生活を送りました。

そして臨床実習時代に突然襲った阪神大震災。滋賀から駆けつけ目にした西宮の光景は衝撃的なものでした。自宅は半壊、自分の知る町の姿は消失していました。
幸い家族は無事で、多くの方に支えて頂き今日の自分があります。この経験を通して自分も人のために何かさせて頂きたい、人のためになる仕事がしたいのだと再確認した出来事であったのです。

振り返れば、医師を志したのは父や祖父に近づき、そして越えたいという思いが原動力でした。その根底には家族の愛情、支えて頂いた多くの人々の思いやりをたくさん頂けたことがあり、私も人を思いやることができたら幸せだと医師への道を志すことができたと気づくことができました。

医師としてのスタート

医師になってから勤務した滋賀・京都の病院では様々な経験を積むことができました。震災を通して人のつながり、家族の大切さを改めて実感しました。家族を持ち3児の父となった今、両親・支えてくれた人々に改めて感謝の日々です。そしてまた、私の原点である故郷・西宮の地で働けるご縁を頂けたことに感謝しております。

・・・私が志す診療のスタイルは
「丁寧でわかりやすい医療」です。
この言葉だけでは月並みなものですが、大切なのは自分が「丁寧でわかりやすく」伝えたかどうかではなく、 患者さんにとって「丁寧でわかりやすく」伝わったかどうかなのだと思います。

ドクターというものは、どうしても自分の治療に独りよがりになってしまいがちです。本や資料から知識、技術を得るのはもちろんのこと、本当に「患者さんにとって」役立つ知識・技術を得るためにも、梅岡耳鼻咽喉科グループのメリットを活かし、他のドクターやスタッフとの診療についての意見交換、そして時には患者さんからもご意見を頂きながら「伝わる」診療を目指してゆきます。

家族や友人、恩師や様々な方からこれまでに頂いた繋がりや教えを大切に、
「ここに通って、本当に良かった」
患者さんにそう言って頂ける診療を目指してゆきます。

これからどうぞ宜しくお願いいたします。